解説サイトに書いてあった ¥n の前後の空白行をとっぱらったら出来たよ…そして置き換え後の確認をチェック外して…「表示」後の「オプション」て禁則処理の項にも同じ物があるがな…だってその前の段落で「前後に空白行を入れないのがミソv」と書いてあり、なおかつ思わせぶりにそこだけ前後に空白が開いているというのはどう見てもスペース入れろと言ってるように感じるんですが私の脳に何か問題ありますか?

フフ…マニュアラーの何が辛いって、マニュアルが間違えてた時ね!
小学校の時地区の太鼓の練習でさー手製の楽譜が渡されて、当時ピアノとかやってた私はそりゃもう楽譜に忠実に! やろうとしてたわけですよ。だから日本の音楽教育はアレだとか言われるんだな(笑)

それはともかく、どうやっても何日やっても、周りの音と自分の音が合わないんですよ。いや、途中までは合うのです。
しかし、ある所にくると必ず引っかかる。ダ・カーポつーんでしたっけくりかえしの所。
そんなような風に書かれてたんで、楽譜通りに五回かとにかくきっちり定数叩いてたんですがそもそもそれが間違い。

この太鼓囃子と言うのが大太鼓先導で、大太鼓が次のリズムを叩かないといつまでも同じ拍子という…つまり個人個人の呼吸に任された、全くのアバウト曲だったんですがねアハハ。
決めとけ!
もうどんなに忠実にやってもズレるんで、私は自分の耳かあるいは読譜能力に問題があるのだと思い込み、

よもや楽譜がイイカゲンだなどと!

大太鼓の奏者のカン一つで楽節の長短が決まるなどと!

想像もつきませんでしたね〜ハイ。
思い込みってコワイ

目に頼らずに、耳で聞いてれば良かったのにね。
できないから余計焦って「楽譜通りにやらなきゃ!!」と悲壮感を燃え上がらせていましたよ。マジ泣きそうだった。
つーか、たかが子供会の太鼓ごときにそこまで熱くなるなって?
なんでしょうねえ、アハハ。自分で自分を追い詰める性向だったのね昔からv

でもマニュアルを外れると大抵とても外れてしまい…思えば遠くへ来たもんだ…(←何かが眩しいらしい)
まあ他罰的でいるよりは、自罰的な方がマシだね。
前世のせいとか悪霊のせいとか親の因果が子に報いとか思った方が楽そうだけどサ!(笑)

ストイシシズムはやはりナルシズムを含んでいるんでしょうかねえ。五右衛門とかそんな感じ?
燃えろ燃えろと煽り立てられるとむしろ萌えねえ。
桜庭の外観にはいっそ小気味良いほどなんら感銘をうけない私ですが、進の外観はやはり好みっぽい。
でもあの中身はなんだかねえ…騎士道なんだか武士道なんだか禅僧なんだか…ゆきすぎてモドラズて感じよ(?)
ところで泥門デビルバッツというおどろおどろしい名前の割に、ヒルマ以外はのほほんとした感じで威厳が足りないなあと思うんですがどうですか。
どうでもいいですかそうですか。私もです(爆)
哀しんでほしくはない。

いや、普通に哀しんではほしいけど。あんまり悲しみまくってほしくない。
自分の死後とは言え、自分のせいで誰かが苦しむのは嫌だ。
だから、私が不慮の事故で死んでしまった時は、ほどほどに哀しんで、サッパリ忘れて笑っていてほしい。

私が死んだ事を、ものすごく哀しまれたら嫌だ。私が死んでも、少しも哀しまれないより嫌だ。
そのくらいなら、ちっとも気にされないほうがいい。
誰にも気にされなければ、そりゃ哀しいとは思うけど、死んだ後だから死人に口なし、って言うか生きてる人優先でしょ。

昔、小学生の頃、墓の存在意義がわからなくて母親に聞いた事があった。←こういうどうでもいい事を気にする子供だった

死んだ後はその人の意識はないのに、なぜ立派な墓を建て、花を供えたりするのか?
どんなに立派な墓があっても、死人は自慢できない。
どんなに綺麗な花を飾っても、死人は嬉しいと感じる事さえない。
その分のお金を、生き残ってる人間が使った方がいいんじゃないか?

これは私が無宗教だからできる考え方かもしれないけど。小学生の頃からドライ。つーか合理的すぎ…

母親は、墓は死人の為じゃなくて、生きてる人間の為にあるのだ、と言った。
その人が死んだ事を確認する為にあるのだ、みたいな事を。
アルバム代わりとか?

なるほど、そういう考え方もあるのかーと思ったけど。
やっぱり墓作るのなんて金かかるし、戒名なんて要らない。
別に宗教信じてないから。
積極的にないがしろにするつもりもないけど。

ちゃんと墓参り行きますよーだって墓場が数百メートルしか離れてないんだもん。さすがに自宅からは見えないが。

とゆーわけで、未練がましくダラダラするのが嫌なので。死んだら死んだ、で、故人の感情なんてどうでもいいわけで。
あ、臓器提供とか、遺産分与とか、故人の意思は守られるべきよ?

必要以上にかわいそう、とか、そういうの。
故人を理由に落ち込みすぎるのも、故人のせいで暗くなってます、って感じでいやだな。
表向きは明るく。
心の中で、忘れなくていいから。
それで充分だと思うから。
故人のせいで楽しく生きていけない、なんてそんなの、私は絶対嫌だ。
死んだ人が大切な人であればあるほど、そんなのは無礼なように思う。

変かなーこの考え方。
美容師の友人に髪を切ってもらいました。正確には美容師見習ですが。髪の長さだけ指定して、後は彼女のお好みで。
……。
アレです、タダで髪を提供するカットモデル(笑)

すっげー時間かかってましたが、下手じゃなかったです。シャンプーが楽になりそう。

彼女と、もう1人の友人とでカラオケに行って、台湾料理を食べて。短い時間だったけど、すごく楽しかったです。

美容師の友人と言うのはカナリ強引なキャラで、夜の九時過ぎに「晩御飯食べた?」とかイキナリ連絡してくる。
「食べてない」と言うと「じゃあラーメン食べに行こうよ」と無理矢理私を連れ出す。それがシツコイ。
駄目だと言っても、ドタキャンしても、また次の機会を見つけてきては、結局私をラーメン屋に連れて行く(笑)

髪を切るのも、その時に「じゃあ私が切ってあげるよ」と言い出し、さらには「染めるの!」などと言い出し、こうなったら「いや、いらないから」「いいっつってんだろ(半ギレ)」と言っても止まらない。
強引 グ My way…
高圧的にゴリ押してくるんじゃなく、甘えてねだるように言われるので、長女体質としては了承せざるをえなくなる(−−;

ハッキリ言って迷惑だが、その行動力に救われてる事も確か。

この高校時代の友人といると、「楽しませてあげなくちゃ」と言う強迫観念がなくなる。
お互いがお互いの事を気遣ってるので、無理をする必要がない。
甘っちょろい感じじゃなくて、皆で楽しく過ごす為に、それぞれが努力してる、て感じかな。

自分ばっかり犠牲になってる、と言う感じがない。
皆自分が楽しむために、人を不快にさせないよう気を配ってるのだ。オトナー?

実は2人とも家庭がややこしい感じで、小さい頃から少なからず傷付いてきた人達だ。
痛みを知ってるから、人にも優しくできるのかなあ。
私こそが全然優しくないので、申し訳なささえ感じるけど。

自分のやりたい事をやってるように見える美容師の友人だって、人が不快になるような事はしないんだよね。
本当に私が駄目だ、って言った時はちゃんと引くし。
自分の為に他人を引きずる、て感じじゃなくて、他人を楽しませたいが為に引きずっていこうとするから、不快じゃないのかもしれない。

例えばラーメン食べたいって言ったのも、もちろん自分自身が食べたいって事もあっただろうけど、ものすごくおいしいから食べさせたい、て言う思いから。
もてなそうと言う気持ちが伝わってくるから、強引でも不快にならない。

 
自分の考えを押し通す為に、他人を犠牲にする事は、信念を貫くって事なんだろうか。
全体のバランスを考えたり、自分以外の人間への配慮は、忘れちゃいけないと思う。
自分がどんなに傷付いたって、誰かを傷つける権利なんて手に入れる事はできない。
被害者である事は、強行の免罪符にはならない。
見守る事も必要なんだ。もしかしたら、その方が難しいかもしれない。
自分と違う他人。その価値観を受け入れる事もまた。

自分が気に入らないからって、我が侭に振舞う事は自重した方がいい。特に、他人に相対する時は。