もう、見えないふりをするのは嫌なんだ。

いつそうなったのかも、彼女には分からなかった。

ぬるま湯のような日々に浸りながら、だんだんと均衡が崩れて流されていくのが怖かった。

肉体の痛みよりも精神の痛みの方がよほど酷かった。何をしたらよいか分からない事が、無知である事がこんなに苦しいとは知らなかった。

多少の知識を振るう事で、何を確かめられる? そんな事で力を否定する事なんて出来はしない。

「楽観的な事を言ったって、現実になるわけじゃないでしょう。裏打ちのない浮薄な希望的観測は、残酷なだけで誠実じゃない」

「自分は不幸だから、甘える資格があるとでも? 幸福な他人が甘やかされていると、嫉妬を覚える?」

引き換えに知識を買ったが、高い利子を払う事になった。

励ますだけで関わらないのは怠慢だ

自分の存在意義とか生きる意欲とかを、誰かが、何かが、不当に奪っていると思いたいんだろう?

自分をかけがえのないものとして考えてしまうと、生きていくのが辛くなる。それでも生き続ける事に意味はある。どんなに曖昧でも、現実は力強い。

わずかな努力で守りきれるものなど、所詮その程度の物だ。多大な労力を必要とするなら、骨身を削る甲斐もある。

事なかれ主義か、自己保身か。

「信念に基づいた行動であれば内容を問わず一定の評価をするべき、という寛容な哲学は残念ながら持ち合わせがない」

認める勇気と譲らない勇気。

何かに干渉しようとする動きは全て「力」と呼ばれる。

「その先」は祈りでは手に入らない

触れると痛い物には触りたくないのだ、もちろん。

道を一つしか知らない者は、迷わせるのも容易い。

季節が変わるような緩やかさで、その意味は変わっていった。

白昼夢、その手応えのない感傷

不躾なほどの率直さ

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