魚達は泳ぐ。
 冷たい水の流れの中を。
 生き残るために。
 
 
   ──死滅回遊──
 
 
 戦争と言うのは、当たり前だが殺し合いだった。そんな事を、俺達は忘れていた。
 知らなかったわけじゃないのに、本当には意識してこなかっただけだ。
 戦う事には、自分でもびっくりするほど早く慣れた。
 本当に、信じられないくらい早く慣れた。
 こういう事は、きっと、平気になるまでたくさんの時間がかかるんだと思ってた。
 だけど、違った。
 上官の言う通りに移動して、攻撃して、また移動して。考える時間なんてなかった。
 気が付いたら慣れていた。
 映画みたいに、涙が出たり、怖くて叫び出したり、食べ物を吐いたりする奴はいなかった。
 一人もだ。
 十時間ぶりにできた食事の時間中、ひたすら食って寝た。
 皆疲れて無言だった。
「どうして戦わなきゃいけないんだ」とか、そういう類の事を言い出す奴はいなかった。
 一人も。
 皆、心は一つだった。
 日本を守りたい、そんな事じゃない。
 生き残りたい。
 ただそれだけだった。
 不思議だ。
 ここには18から50までの男がいて、数ヶ月前までサラリーマンだったおじさんとか、髪の先が金髪になってる奴とかがいる。
 なのに考えてる事は皆同じだった。
「自分はなんの為に生きてるんだろう」そんな事を考える余裕があった昔を思い出した。
 あの頃俺は、自分が生きる事の意味を求めて、そうだ、けど何も行動を起こさないでいた。
 朝が来ればベッドから起きだして、夜が来ればまたベッドに戻る事ができた。
 好きな時に食べたし、テレビを見たし、誰とでも話せた。
 夢の世界みたいだ。
 今じゃ配給の備蓄食糧以外、菓子や果物の味なんかは忘れてしまった。
 テレビはCMもなく、1チャンネルで延々と戦況や各地の情勢のニュースしかやってない。
 携帯電話は中継アンテナが壊滅状態な上、盗聴やら電源の節約やらで使えない。
 なんなんだ、これは。
 とは、ゆっくり絶望してるヒマもない。
 数ヶ月前まで当然の権利として行使してきたものが、今ではひどく遠い。
 作業のように人を殺す事ができるようになった。それしか許されてないとも言える。
 怖いと感じる事もできない。
 敵も同じ人間だという認識は薄くなった。奴等は俺達の事を本気で、本当に殺しに来る。
 俺達が生き残りたいと思ったのと同じように、敵も同じ思いで、同じ目で、命令一下俺達を殺しにくる。
 生きたい、生きたいと、強く思った。
 生まれて二十年生きてきた中で、こんな風に強く願った事はなかった。
 ほとんど祈るみたいに、無神論者のくせに、俺達をムリヤリここにつれて来た大きな力に訴える。
 そこまで俺は生きたかったのかと、自分自身にびっくりした。
 いつ死んでも同じだと思っていた。
 若いうちに死にたいとさえ思っていた。自分のやりたい事をやり、年老いて醜くなる前に死ぬ。
 移動し、攻撃し、補給し、また移動する。
 この繰り返しが今の俺の日常だ。
 俺は生きている。
 
 
 
無効分散とも言う。
南洋の魚が海流に乗って北へ向かうが、冬になると温度差に耐え切れず死ぬ。
それでも魚は延々と繰り返す。
いつか環境に耐性が付き、生息範囲が広がる日まで。

死滅回遊を送り出すのは、種としては栄えている証拠である。
新天地開拓の為の固体を送り出す余力がある、この能力を持った種が(地誌的なロングスパンでなら)分布拡大に貢献し、次代へ続く。
北へ向かう種は、いつの日か海が生息に適する気候になった時、そこを新たな種の生息域とする為に死ぬ。
 
 
 
 まだ泳いでいる。まだ戦っている。ずっと続いてる。
 見えないか? 魚達の群が。
 戦い続け、攻め続け、昇ってゆく一本の流れ。
 そして彼らは戻ってくる。
 彼らに続く私達の中に。人々の中に。「勝利」と共に。

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