洋画とかでよくあるじゃないですか?
最後の最後、死ぬ間際に「愛してるぜ…」とか告ったり「許すわ…」とか語っちゃうの。

アレってどうなんだろーねーって、ずっと思ってた。
自分が死ぬって時になって、どさくさに紛れて謝ったりされたら、その状況で「絶対許さない!」とか言えないじゃん?
どんな人非人だよ私はーみたいな。
だから卑怯な感じがして嫌だったのです。

もう死ぬって分かってる人間から「実は好きだったんだ」とか言われたら、めちゃくちゃ後悔しない?
言った方はスッキリするかもしれないけど、両思いだったらなお辛いよ?
「どうしてもっと早く、気持ちを打ち明けなかったんだ…」
とかスッゴイ後悔しまくりそう。

そんなんだったら、お互い思いあってた事が分からないまま、死に別れた方がマシだよ。
ってこの考え方、変ですか?

最後の最後、追い詰められてようやく本音を吐き出すのって、普段の生活が如何に本気でないかってのが分かる感じで、誠実に生きてないって感じで、なんかヤだな。
もちろん、私が常に全力で誠意をもって人生に向き合ってるかと言うとそうでもないんだけど(爆)
「もう最期だから」
って言葉を免罪符にして、自分の堕落のツケを一気に払おうとするのが気に入らないって言うか。

怠惰である事を選んだなら、最期まで怠惰であるべきと言うか、悪あがきするなみっともないと言うか。
それまでの自分を肯定する意味でも、最期まで態度を変えないで欲しいなあ。
という気が。

「昔は良かった」とか「あの時こうすれば良かった」と言う事で、自分をちょっとでも否定するのが耐えられない。
たとえそれが過去の自分でも。

忘れられたくは無いけど、縛りたくも無いんだよ。
自分と言う存在で誰かの人生を絡めとってしまうくらいなら、忘れられた方がマシ。
自分の死を哀しんでほしいとは思うけど、泣き続けて欲しくは無い。
つーか、そこまで人に影響あたえられるような存在でもないんだけど(自爆)

ソレってのは、どんな感じなんだろうね。
たった一人に執着して、いつまでも心に残って、消えない感じ。
経験ないから分かんないけど。
もともとシツコイの好きじゃないし。

死に際は綺麗にしたいのよ。
見苦しく死にたくないし。

十歳頃から、葬式で他人に自分の死に顔を見られるのって、当人の人間性の無視だと思ってた。
なんというか、侮蔑的な風習だと思ってた。
生きてたら絶対に許可されないような事だよね。他人が自分の寝顔勝手に見るなんてさ。
死んだら、自分の体は、他人の所有物に成り下がっちゃうんだね。
不思議だね。
自分の体なのに、臓器提供には家族の同意が必要なんだね。
献血する時は自分一人で決められるのにね。
本人の意思は無視で、家族の願いが最優先される所からして、死んだ人間はただの『モノ』に貶められてる気がするよ。

本当に故人を尊重しているなら、本人の意思を無視したりできないと思うんだけど。自分の情性を優先するのは、見苦しいっていうか、故人に対して失礼だと思うよ。
みたいな事言ったら、生命倫理の先生に「ドライだね」かなんか言われたんだよなー軽くショック。
自分的には、故人を思いやる気持ちから出てる物なんだけど。

確かに、死んだらそれまでで、嫌も何もないんだけどね。
霊魂の存在なんて信じてないし。
本当に幽霊になれるなら、とりあえず意志の弱い人間を手玉に取る自称霊能者を呪い殺しに行きたいと思います★←やる気満々かよ?!

でも、最後の最後になっても、やりたい事や言いたい事が見つからない人間の方が、よっぽどみっともないのかなあ。
これまでの人生に満足してるっていうならともかく。
特にやりたい事もなく、伝えたい人も、伝えない事もなく。
そっちのが寂しいような。
でもなー…

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